行かないという行動。動かないという行動。


私は、今週末のツアーファイナルの幕張には行かない。たぶん。
行けば素晴らしいものが見れるなんぞ、わかりきっていることだ。
いくら映像が残るとはいえ、あの空間でしか感じれないことがあるのも割かし知っている。
行こうと思えば行ける。宇宙規模で考えれば、そりゃ近いものだ。
それでも私は行かないことを選択しようとしている。


1年前のgreen chordツアーファイナルの武道館には行った。
行ってよかった。心の底から思った。
当時の私の、言葉。

ライブは燃え尽きて終わりたい。

私はそう思う。

アンコールはそれに充分な終わり方だった。

でも、ACIDMANが唯一無二な存在である由縁はそれ以外にあることでしょう。

会場の誰もが立ち尽くすしかできない、そんな終わり方。

終演と同時に終焉。
初めて私がACIDMANのライブを観た時と同じ終わり方。あの時感じたことは嘘じゃなかった。

終焉したライブは、私の中で鳴り、生り、成り、続ける

アンコールはアがる曲ばかりでした。
ダブルアンコールは、ACIDMANの世界を見せ付けられました。

宇宙のように広がり続ける彼らの世界に、私は入りこむ隙間はあるのだろうか。

あんなにすばらしいものを見せてもらって私は何もできないなんて嫌だ。早く何かをみつけないと。

こうも記している。


これは、私のライブに対する考え方に繋がってくる。
私にとってライブとはご褒美だ。浮世離れさせてくれるものだ。
正直言って、自分の状態が良くないとどんなにいいライブも見ても楽しめない。後ろめたい気持ちを持ち込んで楽しめるわけがない。
ステージと客席が対等だとは全く思わない。
しかし、対等に向いあえる人間でありたいと思う。すばらしいもんをくれる人々に、私はこういう人間だよって、あなた方のおかげで私はこんなことに頑張ってるんです。って言いたい。


でも今はそれが、胸張って言えるような状態じゃない。
これでは、1年前に思ったことを嘘にしてしまっているのと同じではないか。あんなにも素晴らしいものをみせてもらったのに。
素晴らしいものをすばらしくなくしてる自分がいるのが申し訳ない。



かっこ悪い。
でも、これが私だ。残念な私だ。




人々にライブに行く理由、聞いてみたいな。
いや、好きな音楽を聞きに行くっては当たり前として。それ以外の何かが人それぞれだから、マナーとかその辺の問題がおこるんじゃないかと思う。
ライブ中にメンバーの名前を呼んだりする人は、好きな人たちに私はここにいるよ。ありがとう。って知ってほしいからだろうと推測しているわけですが、私はそこにいる自分を知ってほしいとは思わない。
もちろん直接ありがとうと言える術があればいいが、「ありがとう。」と思う気持ちから生まれたものを自分に、人にプレゼントすることが目標。


まとまってない。ひとりごとです。